第21回世界ジャンボリー日本派遣団第30隊

第21回世界ジャンボリーに兵庫県から派遣される日本派遣団第30隊のブログです。 We are Japan Contingent Troop 30, which will be sent to the 21st World Scout Jamboree(21WSJ) from Hyogo Prefecture, Japan.

2007年8月12日日曜日

無事に帰国

8月11日(土)~12日(日)

9:40   予定より少々遅れてロンドン・ヒースロー空港を出発 経由地のフランクフルトへ
14:30  フランクフルトにて1時間少々の休憩ののちLH740便にて一路大阪へ向け出発
8:30頃  関西国際空港到着
(時間は全て現地時間。ロンドンは‐8時間、フランクフルトは‐7時間)

30隊隊員、指導者ともに無事に全員兵庫へ帰ってくることができました。
空港内で解隊式を行った後、県連がチャーターしたバスで尼崎~西宮方面と神戸~姫路方面に分乗して解散しました。

写真のほうですが、これから急ピッチで撮影したものを整理しますのでもう少しだけお待ちください。
指導者が撮影したものだけではなく、スカウトが現場で撮影したものも募ってダイジェスト版ができるといいですが・・・。

ひとまず、隊員の皆様おつかれさまでした。
関空までお迎えに来ていただいた保護者及び関係者の皆様、ありがとうございました。

2007年8月11日土曜日

いよいよ聖地、Brownsea Islandへ



8月10日(金)





いよいよこの日は、待ちに待ったブラウンシー島への訪問です。


朝早くにホテルを出発。


ヒースローからブラウンシー島へはバスで約2時間。


リゾート地でもあるPooleという町からは、ボートに乗って約5分。


ブラウンシー島へ到着です。





島では、多くのスカウト関係者の見学隊の他にも、一般の訪問者も多数見かけました。



現在島は、National Trustによって管理されていて、ハイキングのコースは整備されていますが手付かずの自然がそのまま保存されています。
写真は、あの有名なスカウト運動発祥を記した石碑。
この先には、B-Pが実際に実験キャンプを実施したサイトがあります。
島の入り口から、このサイトがある広場まではゆっくり歩いて45分くらいかかりました。

「スカウト活動の聖地」でもあるブラウンシー島。
隊長の話、記念撮影をした後は、班ごとに自由行動。
石碑や実験キャンプのサイトの前ではさすがに誰もが背筋が伸び気持ちが引き締まっていましたが、それ以上に島の手付かずの自然を隊員たちは楽しんでいたようです。

夕食の後、最後のGB会議。
いよいよ明日(日付はもうこちらも今日ですが)の早朝、帰国の途に着きます。

ロンドン市内観光

8月9日(木)

この日はロンドン市内観光に出かけました。
ガイドさんの案内で、B-Pハウス、自然史博物館、バッキンガム宮殿、大英博物館を訪問し、博物館では見学も行いました。
それ以外にも、ウェストミンスター寺院、ビックベン、トラファルガー広場、ロンドン橋、シティーとロンドン市内の有名な観光スポットはバス車内から眺めることができました。

ヒースロー空港からロンドン市内までは、バスでは高速道路を使用して大体40~50分といったところでしょうか。
空港からのアクセスがいい上に、中心部はテムズ川北側の比較的狭い範囲に集中しています。
日本では大阪はまだしも、東京は空港までの距離が離れているためになおさらロンドンの至便さが際立って見えているような気がします。

この日は、市内各所で各国のスカウトと遭遇することが多かったです。
B-Pハウスとバッキンガム宮殿は特に見学スカウトが多く見受けられました。
一般の市民の方からも声をかけていただき、21WSJの反響の大きさを改めて認識した日でもありました。

2007年8月10日金曜日

撤収、そしてロンドン入り

8月8日(水)
前夜遅くまで閉会式で盛り上がっていたにも関わらず、3時過ぎに起きて撤収開始。
4時過ぎに29隊と共にフィリピンの派遣隊へテントを送り、メインバスターミナルまで見送りに行きます。
40,000人の参加者が一気に帰ることもあって、バスターミナルは未明から大ひるg混雑。
フィリピン派遣団の乗るバスも、到着が遅れたり乗り場が変わったりと右往左往しましたが6時半までには隊員も荷物もバスに積み込んで無事に出発。

私たちは昼からの出発だったので、最後まで残していたフライシートの撤収を終えてからは円座で昼食をとったり他のサイトにお別れの挨拶をしたり、またはもとの広い原っぱになった場所で遊んだりと、のんびり過ごしました。

ある隊員が会場を歩いて回ったらしく、場内が撤収され整備されている光景を見ながらある種の寂しさを感じた、と私に言ってきました。
私たちのサイトも、周りのサイトも前日まではテントがぎっしりと並んでいたのに朝になるとそれらが撤去されて原っぱに戻る。
ジャンボリーの終わりを実感すると共に、次回4年後もまた参加しようと思う、独特の光景。
大円座で昼食をとったときに、「スウェーデンにも行きたいか」と問いかけましたらほぼ全ての隊員が手を上げてくれました。
今度は皆が指導者になったりISTで活躍する出番だね。

後ろ髪を引かれる思いで会場をあとにし、いざロンドンへ。
夕方にはヒースロー空港近くのホテルへ到着し、夕食は市街のイタリアンレストランでいただきました。
11日のUK出国までの期間は、このホテルを拠点に観光をすることになります。

Closing Ceremony

8月7日(火)
第21回世界ジャンボリーも、とうとう閉会式の日を迎えることになりました。
夕方までは"Time of Reflect" 最後の日を皆で共に過ごそうということで昼食会がサブキャンプで開催されたり、あちこちでバッジやネッカチーフの交換会を開いている光景が見られました。

名残は惜しいのですが、撤収の準備もしなければなりません。
特に、30隊は29隊と共にフィリピンへテントを寄贈することになり、その引渡しが翌日未明に行われるということで昼から撤収に取り掛かりました。

夜からは閉会式。
サブキャンプステージでは、最後の「サムライソウル」の演奏で幕を開け、皆でメインアリーナへ移動。
閉会式はこれまでのセレモニー以上に盛大に、そして101年目のスタートとして"Gift for Piece"の決意表明がWOSM事務総長よりありました。
イギリスから次回2011年に第22回世界ジャンボリーを開催するスウェーデンに世界スカウト旗が手渡され、最後にJambo!の大合唱で第21回世界ジャンボリーは幕を閉じました。

期間中を通して、スカウトは"One world, One promise"であることの意義、これを様々な場面で実感してきたのではないかなと思います。
同時に、これからの世界にとってスカウト運動が果たす役割とは何か。
それは、このイギリスの地で10日間を共に過ごした世界155カ国の参加隊員たちがそれぞれ認識してくれていることだろうと思います。

プログラム最終日

8月6日(月)
この日で、ジャンボリーの全てのプログラムが終了しました。
今日は前半で参加できなかったGDV(地球開発村)のプログラムに午前中向かい、午後はAquavilleという先日のTeravilleと同じく各国の派遣団が設置しているブースを見学するプログラムに参加しました。

今日も筆者は風邪が治らずにサイト内にとどまっていましたが、GDVではいわゆるグローバル化に関する問題を取り上げたブースが幾つも設置され、隊員たちはそれぞれのブースに分かれながら現在私たちが直面している問題について勉強してきました。

夜はノルウェーの派遣隊との交歓会。
この派遣隊は、”STORM"という愛称がついているそうです。
この夜の交歓会で、私たちは期間中延べ10カ国の派遣隊と交歓会をしたことになります。
食事の準備、相手の派遣隊指導者との交渉など準備は大変でしたが、隊員たちが楽しみ、交流の輪を広げてくれたならそれで幸いです。

後半戦の生活

8月5日(日)
場外プログラムが昨日で終了し、プログラムも残すところあと2日となりました。
この日は、午前中はChoice Time、午後はElementsという日程でした。
ここまでかなりハードなスケジュールであったことと、昼は暑く夜は寒いという気候のために風邪を引いた隊員が多く、サイト内で安静にするものが多かったようです。

かくいう私も、風邪を引いてしまいこの日はサイトの外には出かけずお休みしてしまいました。

サイトの中にとどまっていると、周りのサイトの各国の隊員たちがどのように一日を過ごしているのかが見えてきます。
日本よりも気温が低いとはいえ、昼間は晴れていると太陽が照りつけるように暑く、日陰を見つけてはそこに集まって休んでいる、という隊員が多く見られます。
また、サイト内で水を掛け合って遊んでいるという派遣隊も。

かと思えば、ハンガリーの派遣隊は全員が整列して皆で歌を歌いながら移動します。
日頃の訓練の成果が、そのままそれぞれのカラーで出てくるんだなということを改めて実感しつつ、日本に帰ったらそれをフィードバックしないといけないなという気持ちで姿勢を正されるような気がします。

このblogについて

このホームページ上のスカウト運動に関する事項は、ボーイスカウト日本連盟ホームページ「ボーイスカウト関係のホームページ開設」掲載に沿って、21WSJ日本派遣団第30隊の責任のもとに掲載しています。